軍事法廷で裁かれたあるBC級戦犯(28)の遺書~ 妻と息子を残して・・・戦犯事件の真実
1945年、日本はポツダム宣言を受諾し敗戦した。宣言の中には「戦争犯罪人を処罰する」ことが盛り込まれていた。
東京裁判によってA級戦犯7人が絞首刑になったが、捕虜虐待などの罪を問われ、連合国各国の軍事法廷で裁かれたBC級戦犯は、合わせて920人が処刑されている。アメリカの第8軍による横浜のBC級戦犯裁判では51人の死刑が確定し、スガモプリズンで執行された。
そのうちの1人、藤中松雄は現在の福岡県嘉麻市の出身だ。太平洋戦争開戦直後、20歳で召集され海軍に入隊。終戦の年の4月、沖縄県の石垣島で米兵捕虜3人の処刑現場に立ち会うことになる。連日、空襲が続く中、撃墜された米軍爆撃機から脱出した搭乗員3人に、「亡くなった戦友の仇討ち」が行われたのだ。
亡くなってから70年経って、初めて明らかになった戦犯事件と裁判の真実。妻と二人の幼い息子を残し、28歳で命を絶たれた青年が遺した言葉。
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