満席だった日本航空123便 なぜ31席も空いていたのか
【動画の補足:重量・重心について】
コメント欄で「31席の空席は重量制限、あるいは重心調整のためではないか」というご指摘を多くいただいています。
この点は制作時にも確認していましたが、動画では説明を省略しました。
理由は、B747SRによる羽田―伊丹という短距離路線の性質上、重量制限が31席の理由である可能性を当初からかなり低く見ていたためです。
旅客数は多い路線ですが、短距離のため長距離便ほど大量の燃料を必要とせず、高重量の航空貨物を大量に搭載する性格の路線でもありません。
そのうえで事故調査報告書を確認すると、123便の離陸重量は527,333lb、最大離陸重量は570,000lbで、約42,700lb(約19t)の余裕がありました。
また離陸時の重心位置は22.8%MACで、この重量における許容範囲14.4~33.0%MACの中に収まっています。
つまり事故調査報告書上、123便は重量・重心ともに運航許容範囲内でした。
そのため「重量制限で31席を空けた」という可能性については、本編の主題から外れると判断し、動画の尺や流れを考えて説明を省略しました。
もちろん、航空機の運航において重量・重心管理が重要なのは当然です。
ただし、「Weight & Balanceを管理する」という一般論と、「123便の31席が重心調整のため意図的に空けられた」という個別の主張は別問題です。
特に「後方中央席を空けて重心を前方へ移した」「それは機長判断だった」とするのであれば、当日のロードシート、座席制限の指示、あるいは当時の日本航空の運用規程など、123便固有の根拠が必要だと考えています。
今回私が疑問にしたのは、
「重量にも重心にも問題がなく、座席にも余裕があり、なお空席待ち旅客が残っていたお盆の最繁忙期に、なぜ31席を未使用のまま搭乗を打ち切ったのか」
という点です。
1985年当時の日本航空における具体的なWeight & Balanceや座席制限の運用について、一次資料や当時の規程をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示ください。 以上です。
1985年8月12日、羽田空港から大阪へ向けて出発した日本航空123便。
予約上は「満席」とされ、空港にはキャンセル待ちの旅客もいました。
しかし事故後に残された記録を調べていくと、528席の客席に対し、実際に使用されていた座席は497席。31席が使用されていなかったことが分かります。
ではなぜ、空席待ちの旅客がいたにもかかわらず、31席もの座席が残ったのでしょうか。
当時の新聞記事、時刻表、事故調査報告書、書籍、そして123便に乗ることができなかった方の証言などをたどりながら、1985年8月12日の羽田空港で何が起きていたのかを調べました。
予約と実際の搭乗人数。
ノーショーとキャンセル待ち。
お盆の旅客輸送。
123便に使用されたJA8119の一日の機材運用。
一つずつ調べていくと、123便の「31席」から、事故が起きることをまだ誰も知らなかった時間が見えてきました。
この動画は事故原因を検証するものではありません。
残された資料と記録から、123便が羽田を出発するまでの時間と、そこにいた人々を私なりに追った記録です。
資料から確認できる事実、当時の証言、そしてそこから考えられる可能性を区別しながら制作しています。
1985年8月12日、日本航空123便事故で亡くなられた520名の方々に、謹んで哀悼の意を表します。
【動画内BGMについて】
本動画で使用したBGMを、未使用曲・別バージョンを含む全18曲セットでBOOTHにて公開しています。
動画・配信・自作ゲームなどで使用OK、商用利用可、クレジット表記不要です。
▶ BOOTH
https://contrail3bgm.booth.pm/items/8...
0:00 始1985年8月12日月曜日
2:54 1 123便には何席の空席があったのか
5:31 2 予約した便に乗るとは限らなかった時代
8:07 3 123便はいつ満席になったのか
17:04 4 3時間15分の燃料が示すもの
22:00 5 123便は伊丹への送り込み便だった?
30:28 6 答え合わせ、JA8119の運航予定
35:03 7 折り返し943便から見えるもの
39:26 8 もし8月12日が月曜日でなかったら
41:59 終 いつもの到着-、
Correction:
3:16 訂正 乗員15名 乗客509名です。お詫びの上訂正いたします。
コメント 読み込み中…