【藤堂高虎】築城の名手は、なぜ将軍の工事計画を変えたのか|築城の技術とは何だったのか?
築城の名手として知られる藤堂高虎。
ところが元和5年(1619)、その高虎が、将軍の城の工事を見送るよう求めたと記されています。
幕府は、京都の二条城と大坂城の工事を、同時に進めようとしていました。高虎の働きかけで二条城の工事はいったん見送られ、大坂城に力を集めることになります。
城造りを任された名手が、なぜ片方を造らないよう求めたのでしょうか。
そもそも、石を積むのは石工、柱を組むのは大工です。武士である高虎は、城の何を造っていたのでしょうか。
この動画では、城全体の計画「縄張り」、熊野の山から京都へ材木を運ぶ仕事、家康からの礼状と加増、5人の棟梁が分担した天守、釘と支払いまで指示した書状、そして諸大名を動かす天下普請をたどりながら、「名手」の仕事の中身と、工事計画を変えた判断の仕組みを読み解きます。
──本編でたどる、3つの問い──
一 武士は、築城の何を担っていたのか
二 高虎は、その力をどこで身につけ、なぜ仕事を任されたのか
三 築城の名手は、なぜ将軍の工事計画を変えようとしたのか
■ 目次(チャプター)
0:00 プロローグ 城を造る名手が、工事を見送る
1:07 第1章 武士の専門性
5:00 第2章 任されるまで
9:40 第3章 名手の下で働く人々
16:39 第4章 造るために、見送る
21:42 結び 誰の力で、城はできたのか
■ 主な参考文献・出典
〈書籍・研究〉
・藤田達生『藤堂高虎―侍は討ち死に仕り候が本儀に候』(ミネルヴァ日本評伝選)ミネルヴァ書房
・福井健二『築城の名手 藤堂高虎』(図説 日本の城郭シリーズ4)戎光祥出版(2016年)
・西股総生『「城取り」の軍事学』学研パブリッシング(2013年)
〈史料〉(藤田氏・福井氏の著書での紹介・翻刻によります)
・『延宝西嶋留書』『藤堂家譜』/(天正14年)10月8日付 徳川家康書状〔藤堂文書〕/『玉置覚書』/『高山公実録』所収 慶長6年9月5日付 高虎書状/『公室年譜略』/慶長14年6月19日付 山内豊成書状〔山内家御手許文書〕/『藤堂式部家文書』/高虎の遺訓(『太祖遺訓』)
※月日は旧暦です。
※元和5年(1619)の工事計画の変更は、藤堂家の家臣の覚書『延宝西嶋留書』と『藤堂家譜』に伝わるものです(福井氏の著書による)。二条城の工事は「いったん見送り」で、永久にやめたわけではありません。
※江戸城の縄張りをめぐる家康と高虎のやりとりは、後の時代に書き留められた『玉置覚書』に伝わる話です。
※高虎が安土城の工事で石工から技術を学んだという点は、福井氏の推測です。
※伊賀上野城の町人が城の南へ移されたという点、天守を建て直さなかった理由、大坂城の工事で石の置き場を押さえたことへの「気遣い」は、藤田氏の解釈・推定によります。
※算用(計算や帳簿)についての言葉は、後に書き留められた高虎の遺訓として伝わるものです。
※高虎の仕事を「設計責任者」「建設事業全体の責任者」にたとえたのは、説明のための比喩です。担当した仕事は城ごとに違います。
※地図の地名・川筋・船の道筋は、おおよそのものです。
■ 画像・資料の出典
・岩佐又兵衛『洛中洛外図屏風』(舟木本・17世紀)東京国立博物館所蔵/出典:ColBase
・徳川家康像(模本)森田亀太郎 模・原本 狩野探幽 筆 東京国立博物館所蔵/出典:ColBase
・藤堂高虎像(個人蔵)・豊臣秀長像(春岳院所蔵)/出典:Wikimedia Commons
・正保城絵図『丹波笹山城之絵図』国立公文書館所蔵
・『日本古城絵図』伊賀国上野城絵図・江州安土古城図(江戸時代の写し)国立国会図書館所蔵
・地図データ:Made with Natural Earth(パブリックドメイン)
・人物のシルエット映像・一部の背景・ピクトグラムは、AIにより作成したイメージです。
■ 音楽・効果音
・BGM:「渦巻くシナプス」かずち(OpenTracks・旧DOVA-SYNDROME)
・効果音:効果音ラボ(https://soundeffect-lab.info/)
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