【黒船来航の裏側】ペリーが驚いた日本人の好奇心|幕末の庶民を再現してみた!!
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/ @ai-urarekishitanho
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黒船が四隻、浦賀に現れ、幕府は開国を迫られた——教科書に書かれているのは、ここまでです。
そこに描かれていないものがあります。黒船を目の前で見た日本の庶民が、何をしていたか。そして、黒船の側から、日本人がどう見えていたか。
漁師は逃げずに小舟で近づき、絵師は黒船を写生し、町の者は水兵の服のボタンをつまんで、これは何だ、と聞きました。ペリー本人の日記には、"庶民のほうが、役人よりも打ち解けやすかった。彼らを引き止めていたのは、罰への恐れだけだった"とあります。世界最強の艦隊を前に、日本人は、戦うでもなく、逃げるでもなく、見物していた。
ただし、艦隊の公式の遠征記は、褒め言葉ばかりではありません。日本側がもてなしのつもりで見せたあるものを、"胸の悪くなる見世物"と書き捨てた一節があります。
案内役は、黒船が錨を下ろした目の前の村、横浜村の漁師・亀吉、十九歳。舟も網も兄が継ぐ次男坊で、夢は自分の小舟を一艘持つことだけ。応接所の人夫、米俵運びの下働き、役人を黒船へ運ぶ舟の漕ぎ手として、黒船と日本人が向き合った一年半に居合わせます。嘉永六年(1853年)夏から、万延元年(1860年)まで。
▼章立て
00:00 オープニング
01:41 櫂を止めて見つめた――漁師が最初に見た黒船
10:19 100戸の村に世界が来た――2,000両の宴に肉がない
15:16 鉄の馬と鉄の糸――役人は屋根にまたがった
19:12 米200俵と25人の力士――ペリーが胸の悪くなる見世物と書いた相手
23:43 袖の中の御馳走――役人はなぜ硬く、庶民はなぜ柔らかかったのか
30:52 触った町と隠れた町――下田と箱館、同じ日本人の正反対
37:55 村が消えた日――夢が叶った場所に故郷がない
▼主な参考文献・資料
・『ペリー提督日本遠征記』(艦隊の公式記録/来航日の湾口の光景・番船・饗応・蒸気機関車・電信・相撲・艦上の宴・下田・箱館)
・ペリー私的日記(庶民と役人の打ち解けやすさ、メツケと監視について)
・『武江年表』嘉永六年六月条(江戸の人々の恐怖と、その後の平穏)
・『墨夷応接録』(森田健司訳・作品社/林大学頭とペリーの応酬)
・別段風説書に関する研究(九州大学リポジトリ)
・『幕末外国関係文書』(饗応の請負に関する記録)
・函館市史(十八か条の触れ、海岸の板塀、艦隊退去後の町の様子、購入品目)
・横浜市図書館・横浜市中区(横浜村と応接所、石川家訪問、元町の由来)
・横須賀市(弘化三年のビッドル来航、久里浜での国書受け取り、与力・香山栄左衛門)
・下田市・玉泉寺(下田の町とアメリカ人、ロバート・ウィリアムズの改葬)
・神奈川県立歴史博物館、保谷徹、加藤祐三『幕末外交と開国』
・狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰」の書簡発見報道(2010年)
ほか
もし、あなたが亀吉だったら。黒船が沖に現れたその日、舟で近づきましたか。それとも、蔵に隠れましたか。コメントで教えてください。
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#ペリー来航 #黒船 #江戸時代
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